- 大己貴大神
- 須佐之男命
- 稲田姫命
- 天照大神 他
由 緒
その昔、神武天皇が岡の湊(現在の芦屋のあたり)に行幸(天皇が外出すること)された時に祀られた。と伝えられています。惣社の称名は、孝謙天皇の御代(神護景雲年間)、一つの国に三社の「惣社」を定められた時、当社も中間郷の惣社としてその名を列し、時代が下り宝暦・明和年中(1751~1771)には、郡内七旧社の一つとして数えられ、氏子の人たちの崇敬を集めてきました。
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現在の神殿は天保14年(1843)に再建。かつてはすぐ近くを流れる遠賀川のほとりに惣社山(中間市唐戸町の水門近くが山であった)に祀られていたのを、江戸時代の堀川運河の開掘のため、現在地に移された。と言われています。